『ボーイ』は仕事内容が多岐に渡る

夜の世界のお仕事、ナイトワークといえばキャバクラが一般的ですが、キャバクラに行くとよく黒服の男性を見かけますね。
いわゆる「ボーイ」と呼ばれるスタッフで、キャバ嬢を支える裏方であり縁の下の力持ちの存在です。
まさにキャバクラでは非常に重要なポジションになります。

縁の下の力持ちだけに、その仕事内容は多岐に渡ります。
オープン前には準備や掃除からはじまり、オープンするとお客様を客席に案内してキャバ嬢をその席に呼びます。
そしてドリンクを作って運んでのウェイター業務、灰皿の交換なども行います。
途中でキャバ嬢の出勤の調整のためにキャバ譲に連絡を行ったり、レジでキャッシャー業務を行ったり…。
本当にお店全般業務を取り扱う何でも屋さんですね。

何でもやらなければならない仕事だからこそ、キャバクラのボーイの仕事はこの世界ではじめの一歩を踏み出すには最適な仕事で、人間力を磨くことができます。
そして、マネージャーや店長クラスになると、キャバ嬢の管理やスタッフの教育など幅広い業務ができるようになり、なにより高収入!とてもやりがいのあり責任がある仕事なんです。

『メンズ体入』で自分にあったお店を見つける

実力しだいで高収入で、出世も早いキャバボーイですが、一方で仕事上のストレスや体力的なツラさを理由に辞めていく人も多いです。
だからこそお店選びがとても重要!
男性向けの求人情報サイト「メンズ体入」(tainew-otoko.com)では、自分にピッタリの条件で自分にあったお店を見つけることができます。
あなたもピッタリの仕事を探すことができるはずですよ。

 

歴史上で縁の下の力持ちだった人物④

誰かを助ける役目を果たす人として、アンリ・デュナンも忘れてはなりません。

アンリ・デュナンと言われてもピンとこない方も多いと思いますが、国際赤十字を創設した人と言われれば立派な人だと感じる方が多いのではないでしょうか。
彼はその功労により、初のノーベル平和賞を受賞しています。

赤十字が存在しなかった150年前までは、敵兵を助けると死罪になってしまう法律がありました。
死にかけている人が助けを求めてきても、同じ人間なのに敵兵であるということで何もすることはできず、目の前で死んでいくのを当然のように見るしかないといった世界でした。

画像出典元:https://matome.naver.jp/odai/2141673500668073101/2141673630170390903

国際赤十字を創設した命や平和を象徴する人物

彼はそんな愚かな法律に負けることなく、一日で何万人も死んでいく人々を目の当たりにしたソルフェリーノの戦いの有様を描写し、本を自己出版します。
そしてヨーロッパ中を回って自身の思いを訴え続けていきます。
この訴えは、ヨーロッパ各国に大きな反響・共感を呼び、最終的に多くの苦難の日々を乗り越えて赤十字社が誕生することになるのです。

今は当たり前のように存在している赤十字ですが、初めはデュナン一人の想いの強さが基礎を作り、世界を変えました。
いまでも命や平和を支えている人物なんですね。

画像出典元:http://10rank.blog.fc2.com/blog-entry-156.html?sp

 

歴史上で縁の下の力持ちだった人物③

太閤 豊臣秀吉の弟にもかかわらず、それほど多くは語られていない人物、豊臣秀長。
この人の秀吉を支える縁の下の力持ちっぷりはとても大きなものです。

豊臣秀長は豊臣秀吉の弟として、生涯通じて補佐役に徹した人生を送り続けた人物です。
秀長の性格は、上昇志向が強い秀吉とは対照的で、温厚で生真面目、的確な助言に定評のある人物とされています。

画像出典元:http://ameblo.jp/mikawa-hide/entry-10687144585.html

見事な内政手腕で調和のとれない豊臣政権をまとめた人物

活躍したのは秀吉の補佐役としてだけではありません。
四国征伐では病気の秀吉に代わって総大将として出陣し、自分の力で四国を平定します。
また、四国平定後は一揆が相次ぐ大和・紀伊・河内の領主となり、見事な内政手腕でこの地をうまく統治します。

そのくらい人望もあり、文武に秀でた秀長のライフワークは、豊臣家の内部の問題解決と秀吉のやりすぎを抑える役目でした。
秀長は調和のとれない豊臣政権のまとめ役だったんですね。

だからこそ秀長が亡くなった後に、豊臣政権が大きく変わることになります。
秀吉晩年の暴挙とも取れる、千利休や豊臣秀次の切腹、朝鮮出兵などは、全て秀長の死後に起こっています。

歴史でたらればを語るのは全く意味がありませんが、もし秀長が長生きしていれば歴史が変わっていたのかもしれません。

画像出典元:http://bushoojapan.com/tomorrow/2015/01/22/40691

 

歴史上で縁の下の力持ちだった人物②

次に後醍醐天皇に忠義を貫いた男、楠木正成(くすのきまさしげ)です。

正成が活躍した時代は鎌倉幕府の末期です。楠木正成は武士ではなく「悪党」と呼ばれています。
商業や運送業が発展するにつれ、武装商人や武装運送業者は自分たちの商品を守るために武装するようになりました。

これらの人々は武士ではなく、「悪党」と呼ばれました。正成はその中の一人なんです。
「悪」という言葉がついていても、「素行が悪い」ではなく「武士のルールを守っていない」という意味だと考えられます。

画像出典元:http://ganref.jp/m/bond007/portfolios/photo_detail/1f36aa3225b048309afc1a5ba7641ce7

天皇のために働き、死ぬまで戦い抜いた人物

正成はどんな人かと非常に簡単に説明すると、後醍醐天皇に協力して幕府に挙兵し、得意であったゲリラ戦法などを駆使して幕府を滅ぼすことに貢献した人。
そしてその後、後醍醐天皇による「建武の新政」の立役者となるくらい活躍する人です。

倒幕、そして新政の中枢に入るくらい活躍した人ではありますが、正成はこれ以降は不幸な末路を遂げます。
建武の新政は時代の中心である武士を軽視して公家を重視するものだったため、足利尊氏が先頭となって武士たちが天皇に反抗します。
それでも正成は最後まで天皇のために死ぬまで戦い抜き、最期は湊川の戦いで討ち死にしてしまいます。

いちばん後醍後天皇が風向きが厳しい時でも最後まで逃げずに天皇のために働き、死ぬまで戦い抜いた正成は主君を守るという点では模範のように挙げられています。

画像出典元:http://blogs.yahoo.co.jp/mozugoe/6661012.html

 

歴史上で縁の下の力持ちだった人物①

縁の下の力持ちという意味では、主君に使える戦国武将にも通じるものがありますね。
歴史上の武将を何人か紹介してみましょう。

まずは蒲生氏郷(がもううじさと)が挙げられます。

蒲生氏郷は、天下人となった豊臣秀吉が徳川家康よりも恐れた武将とも言われています。
あるとき秀吉が家臣たちに「百万の兵を率いたならば誰が一番強いか」と問いました。
すると、大多数が家康や前田利家と答えたのに対し、秀吉はこれを否定して蒲生氏郷と言ったとされています。

画像出典元:http://amoyoroshi.blog.fc2.com/blog-entry-108.html

織田信長にもっとも認められた武将

なぜここまで秀吉が氏郷を恐れていたのかといえば、氏郷が織田信長にもっとも認められた武将であったためです。
蒲生家は信長の前は織田家と敵対する六角家に仕えていたのですが、信長が六角家を滅ぼす際に蒲生父子の六角に対する忠義心と武勇を惜しみ、織田方への投降を勧め、信長に仕えることになりました。

それ以降、氏郷は信長に気に入られ、元服したのちに信長の娘である冬姫と結婚します。
つまり、信長が義理のお父さんになるくらい気に入られていたんですね。

この後も信長に従軍して数々の武功を挙げていますし、さらに本能寺の変では安土城にいた信長の妻子を救い出して日野城に保護するほどの活躍を遂げています。
信長亡き後も氏郷は秀吉に愛され、後のほとんどの戦に従軍していますが、残念ながら若くして病死してしまいました。

信長に「蒲生が子はただものならず。彼が勇将ならずんば、外に勇将なる者なし」とまでいわしめたほどの武将です。
もし長生きしていれば、その後の歴史は大きく変わっていたと誰もが納得するほど、文武両道に長けていた武将でした。

画像出典元:http://odanobu.com/column/15/column15001.html